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霊峰・石鎚山の頂(itadaki)を目指して登山開始


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きました鎖場

西日本一とも謳われる急峻な岩壁を持つ石鎚山。
行者達は敢えてこの険しい道を選ぶことで、自らを高めていった。


この鎖を握ることで心は(mu)となり、一つのことに集中する力が高まる。

昨今の、あれもこれもそれもどれもの欲張りな世の中とは対照的な世界が、ここにはある。


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実際のところ、登っている時は鎖しか目に入らない。
故にそれほど恐怖は無い。


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本当の恐怖は立ち止まった時、下を見た時。

この一瞬は、心底恐怖を感じる。


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鎖場を上がった所に神降臨


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どちら様かと思ったら、天狗さん

先生によると、石鎚山は麓から三十六の天狗が祀られていて、
それらに手を合わせることでご利益を授かり、無事を感謝しながら登るものだと。


手を合わせる対象が違うだけで、四国遍路の精神と同じである。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


この鎖は"試しの鎖"と呼ばれ、石鎚山に4つ存在する鎖場の1つ。
試し=体験と思ったら大間違い。4つの中で最長、登り/下りの複合コース。最も厳しい。


神社の解釈では「この鎖を行くことができれば、他の鎖は大丈夫」


試しの

じゃなくて

試される


鎖なんですね。下りてから知ったけど。


ちなみに、いずれの鎖場も巻き道(別ルート)があり、鎖の回避は可能。
万人が実力に応じた修業ができる、それが石鎚山なのです。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


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茶店で一服


古来より石鎚では、あめゆが有名らしい。


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石鎚登拝者のならわしとして、


下りの方は上りの方に「おのぼりさん or おのぼりさんで」
上りの方は下りの方に「おくだりさん or おくだりさんで」

と声をかけながら進みます。


「こんにちは」や「お疲れ様」「もうちょっと」
通常の登山で掛け合う言葉が、ここでは聞かれない。


登拝者がお互いを尊重する独自の声掛けが、この神域には息づいている。


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一の鎖


試しの鎖で"試された"くろまるだったが、もう一つ行ってみることにした。


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ここは登り/下りの複合コースではなく、見えているところが(鎖の)頂上。


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足をかける場所が多く、登りやすい鎖場だった。


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夜明峠(Yoakashi-toge)

それまでガス(霧)が立ち込めていたが、この辺りから視界が開け始めた。


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土小屋ルートとの合流点(二の鎖手前)まで来たところで、
前を行く人達が振り返り、歓喜の声が上がった。



続く
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行こうよあの山へ


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山岳信仰と呼ばれる文化が、日本には存在する。
簡単に言えば、お山=神さまとし、それに向かって手を合わせることだ。


人々が暮らす上で、お山(=自然)からの恵みは計り知れない。
しかしながらお山は時に人々へ脅威を与え、命を奪うこともある。

人々の心にはお山に対して尊敬しつつも恐れを抱く"畏敬"の念が生まれ、
お山の機嫌を損ねる行為を禁忌し、恵みには祭祀で応えた。


西日本最高峰の石鎚山(1982m)
日本七霊山(富士山、立山、白山、大峯山、釈迦ヶ岳、大山、石鎚山)の一つであり、山岳信仰の本場。
毎年7/1~10の間は"お山開き"と呼ばれる神事が行われ、特に賑わう。

この期間は老いも若きも白衣に身を包んで、山頂を目指す。


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今年はその"老いも若きも"の中に、くろまるも参加だ。

まずは山麓下谷駅(455m)からロープウェイに乗り、
山上成就駅(1300m)までの空中散歩を楽しむ。


春はお花、夏は登山。秋は紅葉に、冬はスキー。

このロープウェイの開通(1968年)によって、四季を通じて石鎚山を楽しむことが可能となった。


しかし便利の影で、登山基地として栄えていた集落が急激に衰退して、
廃村になった地域があるという。興味津々、今度そこ行ってみます。


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ロープウェイを下りて入山口である石鎚神社成就社(jo-jusya)を目指す途中、寺院がある。

名前を"奥前神寺(oku-maegamiji)"

64番前神寺の祖となった霊場、奥の院。

64番を里前神寺(sato-maegamiji)
この寺を山前神寺(yama-maegamiji)と区別したりもする。


手を合わせ南無大師遍照金剛、道中の安全を祈念す。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


成就社に着いた。


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そこには旅館が軒を連ね、門前街の様相を呈している。


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標高1450mに広がる空中都市は、大変な賑わい。


この光景が昔のものとならないよう、願うばかり…。



入山の手続きを済ませ、神さまに低頭挨拶をして、いざ出発!



続く

鞆の浦(Tomonoura)と言えば、古くは万葉の歌人も詠んだ風光明媚な港町

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常夜灯が凛々しく立ち、奥に見えるは四国の山並み(香川県西部)


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高台に上がると一層視界が開ける。大きな常夜灯がとても小さく見える。
(真ん中右辺り。探してみて下さい)


-橋を架けてバイパスを通す-

港口に架橋する開発計画が発表され、景観を守るため反対運動が起こったのは記憶に新しい。
また、宮崎監督が当地に滞在して「崖の上のポニョ」の構想を練ったことが、
全国的な注目を集める要因の一つになった。


鞆は道が狭く、乗用車が離合できない路地が多い。また、朝夕の渋滞も酷い。
住民からは、架橋賛成の意見があることも一理ある。


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現在の鞆の浦は"風待ちの港"としての役割を終え、
商船の出入りはほとんど無い。漁船の出入りが大半を占める。

この事と平地が乏しい事情が重なり、
開発の波に呑まれることがなく歴史的な景観が残された。


景観保全と言っても、そこは住民の生活優先。
県外民としては「今」この歴史的景観を記憶に留めておこう。

これから先、鞆の浦がどうなっても良いように…。

阿波と伊予を分ける、その名も"境目峠"

現在は徳島道"新境目トンネル"、国道192号"境目トンネル"が
県境越えの道となり、今や"境目峠"を通るのは地元住民と、
讃岐を目指すお遍路さん。

そして一部マニヤ


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この峠は素晴らしい

県境を示す白看板が自立、字も読める状態


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今や"川之江市"の響きも懐かしい。


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この峠の素晴らしいところは、旧規格の国道標識と県境の碑が現存している


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字体は旧字体(県が縣)


白看板
旧規格国道標識
県境石碑

走攻守揃っていながら今は後進にその役目を譲る、前田さんのような存在。


カープファンが前田さんの円熟した打撃を拝見願うのと同じく、
旧道ファンとしては、いつまでもこの標識が見れることを願うばかりである。

戦争末期に起こった列車空襲で、弾痕が残る那賀川鉄橋


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下流側の歩道を伝って対岸(阿南側)へ渡り、史実によると
銃撃が繰り返された「列車が橋に差し掛かった時…」の徳島側を捜索する。


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ありますたくさん。徳島側へ戻れば戻るほど。
この鋼板を打ち抜く威力、生身の人間だとひとたまりもない。


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なんだこれ


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来た時には気付かなかった。那賀川鉄橋最大の遺稿決定

この部分へは、どんな当たり方をしたのだろう。


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徳島側の堤防近くに、那賀川列車空襲を記す石碑があった。

阿波中島駅を出た列車が那賀川鉄橋に差し掛かった時、グラマン2機が飛来。
銃撃によって動けなくなった列車に、執拗に攻撃を繰り返し…


戦争は恐ろしいですが、勝った側が正義となり
この手の行為の犯罪性が問われないのが、もっと恐ろしい。


勝てば官軍

って言葉があるが、それとはちょっと違うんじゃない。


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プワァーン


徳島行きの列車が通り過ぎて行った。


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近年、ナカちゃんが現れたことが有名になった"那賀川"

悲しい歴史を自らの体に刻むこの橋は、
今日も人々の足として、癒えることのない傷を負いながら佇んでいる。

「夏が近づくと戦争を思い出す」


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JR牟岐線、那賀川(Nakagawa)に架かる那賀川鉄橋


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上流/下流共に歩行者・自転車道が付いており、橋梁に沿って歩くことができる。


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この橋は戦争末期に列車空襲に遭い、その弾痕がいくつも残っている。

薄い部分は貫通


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鋼板が厚い部分は、この通り。

何度かの再塗装によってその跡は解りづらくなっているが、
よく見るとそのははっきり見て取れる。


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観光案内板や印があるわけではなく、それらは黙して語らない。
日常的な空間で起こった惨劇を、人知れず佇み我々に語りかけている。


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橋を渡りきって、反対側へ。


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橋長が結構長いことと、水面からの高さ。高いのが怖い人には、落ち着かない橋。

こうして写真を撮りながらだと、カメラ&携帯を落とさないか、とても心配。


史実によると(後述)

「列車空襲は徳島側から来た列車が橋を差し掛かった時に…」とある。

ゆえに渡りきった阿南側には弾痕は無い。


引き返して、徳島側を重点的に調べることにした。


続く

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(旧)河辺村には"屋根付き橋"と呼ばれる橋がいくつか存在する。


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その中でもコチラ


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御幸の橋


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高知県檮原町に隣接するこの地域は、竜馬脱藩の道
この御幸の橋は、竜馬が通った伝わる。

肱川→大洲→長浜と出て、そこから船で下関に渡って…
あまり詳しくないのでこのあたりで(^^;

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南予って、白看板の宝庫だネ

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急峻な断崖絶壁。
雰囲気的には、男性的な海岸線が多く見られる伊豆諸島と似た感じ。


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高茂岬(komomisaki)
豊後水道に突きだした船越半島の岬。

晴れていれば対岸に九州・大分県を臨むことができる、四国の西端。

奥の島影は、沖の島(高知県)
明治までは島内に予土国境があった島で、日本版キプロス島。


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遊歩道があるが、これを下りていくのは勘弁。景色のみ堪能することとする。
奥の島影は、鵜来島(ugurushima)


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これでヤギさんがいれば、まるで伊豆諸島なんだがね。

でも、この土地の痩せようからして、奴等はいるのだろう。


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~岬と言っても、ここの知名度はとても低く通常の観光では訪れない場所。
秘境の要素が有りながら観光地化されたA摺岬とは違い、
自然の原風景が感じられる。それがここ、高茂岬。

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"かくれんぼ全国大会"

なんてのがあったら、その会場にぜひこちらを提唱したい。


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愛媛県愛南町外泊(sotodomari)地区


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この辺りは平地に乏しく、分家する際住む場所を開墾する必要があった。
そこで次男坊・三男坊達が斜面を切り開き、石垣を組んで家を建てた。

それがこの外泊集落である。


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集落内部にお邪魔。


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かくれんぼとか言ったけど、ここですると生傷が絶えないことでしょう。


石垣にぶつかった、階段で転んだ、辻で衝突した…

開催するにあたっては、救護体制の完備がマストになります。


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集落内唯一(?)の観光施設「だんだん館」
"だんだん"
とは、当地の方言で"感謝"を意味する。

内部には昔の外泊集落の写真や、喫茶スペース有り。
予約すれば、郷土料理を食べることもできるようです。


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"遠見の窓"

家の中から海や風の様子を見て出漁を判断したり、
漁に出た夫や兄弟の無事を家族が想い、帰りは今かと眺めていた光景が想像できます。


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集落の全景が見たいので、高台へ上ってみた。
ん~イマイチ。もうちょっと上がってみる。


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どうでしょう。


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人間の営みが感じられる

当地の厳しい自然環境を考えると、生命力さえ感じられる。
都会にはここの倍ほどの人間がいて、生気が感じられないビルがある。


自然に身を委ねて、の南予の人達だからこそできる、外泊の営みかもしれません。


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段畑の水荷浦と同じく、ここも水には大変困る土地柄だと想像します…

車横付け
バリアフリー

便利さを諦めているからこその幸福が、ここにはある。


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子どもの頃は、家が大きい城のように感じられた。
ここに来るとその石垣の高さに、大人であっても圧倒される。


童心に返ることのできる場所が、ここにある。

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この畑は天まで続いている。


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愛媛は宇和島に、この畑は存在する。


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名前を水荷浦(水ヶ浦)
平地に乏しく水源の無いこの地域では、集落を出た者であっても帰省の際は
"水を荷"に帰ってこないといけないほど、水と畑地が困窮していた。


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この土地で先人は石垣を築いて、耕地を広げて行った。


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選ばれた作物は"じゃがいも"
日照りに強く、少ない土地で多くの収穫が見込める。


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目の前は海。入り組んだ入江が美しい宇和海。
ここでは鯛やハマチの養殖が盛んに行われている。


それにしても、朝の涼しく人気(hitoke)の無い時間の散歩は良いものだ。


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今の時代スーパーに行けば、大抵の食物は手に入る。

"効率最優先"の世の中にあって、この耕地ははっきり言って非効率的だ。


それでもこの風景と、先人の築いた土地を守っていこう…


大自然を前にして、それに立ち向かう気概が感じられる集落。
それが天に昇るこの畑、水荷浦なのである。



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